Tomikoの夢を叶えるまでのストーリー 

  竹下 登美子

人生には、さまざまな出会いがあり、体験があります。20台前半のころから目指していた自立した大人(経済的・精神的)になる夢は5年前に実現しました。自立して得られたものは、自由と愛、人や自然と調和した感覚でしょうか。多くのネガティブ感情は、消滅していきました。今の私は、とってもパッピーです。1999年2月にOLからセラピストに転身したことで、毎日人の喜ぶ顔を見続けられる仕事を得ました。そして、10年前に私を心から愛してくれるパートナーにも出会い、現在同じセラピストの仕事をしています。かつて、ほしかったものはすべて手に入りました。これまで私を導いてくださり、支えてくれた多くの豊かな出会いや体験に感謝しています。失敗をおそれずに、自分を信じて前進することで、道が開けてきました。すべて、自分自身を磨く体験に変えていくことでバラ色の人生に・・・

どこにでもいる平凡な女性が自分の夢を少しずつ叶えていくプロセスを読んで、少しでも勇気が出てくださればうれしく思います。


第1話 平凡なOL時代

社会人になってワクワク・どきどきの楽しかった時代
高校を卒業し、あるメーカーの営業事務職に就職しました。社会人として、働くことは楽しくもありました。それこそ、様々な人生模様がありました。家族や、同級生とは違う世界の人々と接することができたのは、興味深いものでした。アイスホッケーが強い会社で、はじめは会社の仕事としてしぶしぶチアガールをしていましたが、2年目からは率先してやっていました。

その他、華道・美術部・テニス部・バトミントン部・洋裁学校(夜間)に通うなど忙しい毎日でした。初恋も19歳の頃でした。このころは、すべてがめずらしくワクワクすることの連続でした。

人生の意味を模索しヨガの哲学に惹かれた時代
20歳のころ、ヨガに興味を持ち、三島にある沖ヨガ道場で断食体験をしました。ヨガの教えでは、「無理」「無駄」「ムラ」のない喜びある「喜3年間学びました。瞑想に憧れ、精神世界に興味を持ち始めたころです。「人は何の目的で生まれてきたのか?自分の生きる目的は何か?」など模索し哲学していました。普段、明るく振る舞って生きていましたが、自分自身の人生のテーマや目的を求めていましたが答えがみつからず、いたずらに時間だけが過ぎる感じで、なぜかいつも不安で焦りを感じていました。 断食道場にいったり、ヨガの先生が読むと良いと紹介してくれた本は次々に読んでいきました。『マ−フィーの成功哲学」やカーネギー関連の本は全部読破しました。「信念が現実を創る」ということこがたくさん書いてあったので、できるだけネガティブなことは見ないで、明るく前向きなことばかりにフォーカスして生きていこうとしていた時期でもありました。

ムチウチ・テクノストレスでうつになり苦しんだ時代
入社して8年たった26歳のころ、決められたルーティンワークの中で間違えないように仕事をこなすことにうんざりしていたころ、なかよしの同僚や先輩たちが、だんだん結婚や自己都合などで退職していなくなり、寂しくなりました。
仕事に没頭した時期もありましたが、ふと、このまま、組織の歯車として生きていくには、あまりにも希望がないと感じ始めていました。
その当時、パソコンによるテクノストレスと将来の対する漠然とした不安とテニスで頭を強く打ったことが重なり、ムチウチ症という、大変やっかいな病気にかかってしまいました。世界が一変してグレーになり、毎日憂鬱な日が続きました。

整形外科にいったり、整体にいったり、マッサージを受けましたが、一向に回復するどころか日増しに悪化していきました。
「どうしたら、治るのだろう?」毎日が不安でした。
肩は凝る・頭はぼーとする・頭も首もカチカチ・息が浅く・食欲は出ず、寝ても疲れはとれない・・・何をしていても焦点が定まらずイライラとあせりばかりが募り、感受性も麻痺して何も感じることができない。怪我や病気なら、治療をすれば治るという希望がありますが、鞭打ちは、決定的な治療法がないだけに、どうして良いか分からないという日が続きました。

そのころ、人生で初めての挫折感と絶望感に襲われていました。このまま、治らなかったらどうしよう!不安な日々が半年近く続きました。ムチウチち症というのは、外傷を伴わないため外見上は分かりづらいので、周りの人々にもその辛さは理解されず、家族や友人達との心の距離もどんどんと開いていきました。
診断はしなかったですが、自律神経のバランスも大きく崩し一時的に鬱の症状になっていたと思います。他人の期待に応えようと無理していたことが知らず知らずのうちに蓄積し、心のバランスを大きく崩していました。そのころは、自分がどうしたいのかよりも常に周囲にあわせようと努力して生きていました。そして、自分に自信が持てなくて外側からの評価に一喜一憂していくうちに内面世界が枯渇していったのです。その結果、体調が悪くなり、人の期待に応えられなくなったら周囲の人達から取り残されていくような不安感で落ち込みました。今考えると、いじらしいし、随分と無駄なことにエネルギーを消耗させていたことが良く理解できます。
これは、鈴木清和氏の生理学の理論では、燃え尽き症候群といって生真面目な人がよく陥るパターンだそうです。
その頃は、生理学の知識がなかったので、自分の心と身体に何が起こったのか理解できず、また、適切なアドバイスをしてくれる場所も周囲にはありません。 闇の世界にポーンと投げられたような心細さ、誰に言っても分かってもらえない寂しさが余計治りを遅らせてしまったようです。弱音を吐いたり、愚痴を言ってはいけないと思い込んでいましたので、ネガティブな感情が湧いてくる自分に対して自己嫌悪を感じました。
アロマトリートメントのような神経を安定させながら、心と身体をやさしく癒してくれるスペースがあったのならどれほど救いがあったかと思うのですが、その当時はアロマも癒しという言葉もほとんど無かった時代でした。
その頃は、健康な状態に早く戻りたいという一心でしたから貯金やお給料を体に良いと思うことにどんどんつぎ込みました。

回復のプロセスをサポートしてくれたさまざまな出会い
あるとき、仕事関連の方が、私の体調があまり良くなさそうなのを見て治療師さんを紹介してくださいました。その方はあごん密教を信仰している方で、不思議な力を身につけた治療師さんでした。私の身体を診て「良くこんなに頚椎がずれたままで過ごしていましたね!大変だったでしょう。貴方はとても色々なことに気を使う人だけど、もっと自分を大切にして自分のペースで生きた方が良いいと思いますよ」と言われびっくりしました 。やっと、自分の心や身体の状況を客観的に見て、治療してくれる人に出会えたと思った瞬間でした。3ヶ月間、週2回定期的に通っていくうちにだんだんと体調も上向きになっていきました。この治療師さんのオススメで読んだ「なまけものの悟り方」は私のバイブル本として数百回は読み込みました。薄い本の割りに内容が深く、何度か読んでいくうちに意味が理解できるようになってくる不思議な本で地湧社から出ていてロングセラー本です。印象的だった内容は「逆らわない」「陰と陽のバランス」「宇宙は凝縮と拡大を行ったり来たりしている」「美しく磨かれたダイヤモンドも光を当てる人によって価値が認められる」などです。シンプルな内容なのですが、本当に理解するには人生の経験が必要だと感じさせる本です。 ある程度体調が戻ってきた後、更に元気になりたくて、書店で出会った本を頼りに月に25万円する自己啓発センターに4ヶ月通い始めました。
60台の男性が自ら胃がんを克服した経験をベースに独自のシステムでセンターを経営していました。柔軟体操やストレッチなど、1日数時間ほど行うのだけなのですが、この方法は予想以上に効果がありました。
また、この方は栄養についての自説も強固なものを持っていて生の肉「ゆっけ」を食べなさい。 鞭打ち症がキッカケとなり、色々と苦しみながら内面世界に目を向けられるようになり、人の考え方や常識よりも自分の良心や感性を大切にするようになっていきました。そして物事の受け止め方も生き方もだんだん自然体になり生きるのが楽になっていきました。
この体験があったお陰で、人生の方向転換が起こったのですから今では病気になったことも感謝しています。
 
ムチ打ちが回復して仕事に打ち込んだ3年間
 平凡に結婚して、子育てしていく生き方が一般的で、同僚や先輩達も次々とそのような道を歩んでいきましたが、どうしても感覚的に、そのような人生観に惹かれない自分は変わり者なのかしら?と悩みもしました。男女均等雇用法などという法律ができたことで女性も男性並みに仕事をする風潮が急速に広がっていきました。仕事は将来性はなかったけれど他にも選択する道もなかったので、その当時は残業50時間ペースでがむしゃらに働いていました。30歳を過ぎたころ、このままでは自分の人生の展望が開けない、どうしたらよいかを毎日真剣に考えるようになりました。
いろいろと悩んだ結果、32歳の時にようやく16年勤めた会社を辞めることになりましたが、
辞める前の2〜3年は葛藤の日々でした。今さら、何ができるというの?イヤだけど、現状にしがみついて生きていたほうが安全だと思う気持ちと、今からでも遅くない、自分の未来を信じてチャレンジしたい!この2つの葛藤が激しくぶつかり合いシンドイ時期でした。辞めると決意した時は、次のあてもなく辞めたらどうしようかな?って不安もありましたが、心理的にこれ以上落ちることはないと思いましたので吹っ切れたようです。お金の心配はありましたが、自分ひとりで生きていくだけなら何とかなると自分に言い聞かせ、自分の可能性信じていくことに決めたのです。
そして、バシャ−ルとかシャーリー・マックレーンなどの精神世界系の本を何度も何度も繰り返し読み、「わくわくすることを選択する」という方向に行動を移していきました。
13年前の決断が、今は良かったと思いますし自分の勇気に感謝しています。
次回は 第2話  波動の時代の幕開け



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